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郷土唱歌 我らが住めるこの里は、 元国栖小学校長 |
※ 国栖和紙 国栖に紙漉きが伝えられたのは、約1300年前 大海人皇子(後の天武天皇)がこの地に入られた時 村人達に伝え教えられたといわれています。 谷崎潤一郎先生は小説「吉野葛」で真白な紙を 乾かす風景を次の様に書かれました。 『 村の人家が見え出した時、何より先に目を惹いたのは 此処、彼処の軒下に乾かしてある紙であった。(中略) 街道の両側や、丘の段々の上などに高く、低く寒そうな 日にきらきらと反射しつつあるのを眺めると彼は何がなしに 涙が浮かんだ・・・ 』 私達はこの美しい風景をいつまでも 大切にしたいと思います。 ________________________ ※ 国栖の歴史 日本書記には、国栖の土(くに)は、京より 東南、山を隔てて吉野川の上(ほとり)に居り、峯嶮しく、 谷深くとあります。 奈良時代、壬申の乱を前に大海子皇子は争いを避ける為 大津の宮から国栖にご退隠されました。国栖の翁達は 皇子に奉仕し,一説には、川辺の小舟の中に皇子を匿い 追っ手からお守りしたとあります。 古代朝廷と国栖人との関わりは、由緒ある芸能「国栖奏」 第三歌の歌詞にも偲ばれます。 |
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【 鈴の音に白木の笛の音するは、国栖の翁の参るものかは 】 | |||
また室町時代に、世阿弥元清により謡曲「国栖」が作られました。 源平盛衰記には吉野の国栖とは舞人なり、国栖は人の姓なり・・と 山奥のこの片田舎に、遠く歴史の足音が聞こえることは 誠に感慨深い深いことです。 |